笑顔の実り。 vol.98(2022年4月号)
あずま としおさん|62歳
富田林市五軒家地区 東 敏夫さん
時代にあう造園を後生に繋ぎたい
農業を始めたきっかけについてお聞かせください。
私は父の代からの造園業を継ぎ、現在も植木屋として農業に関わっていますが、米やナスを育てていた祖父によく田んぼに連れられていたので、幼少期からずっと農業は身近な存在でした。小学生の頃から米作りを手伝い始めました。少しずつ農業の機械化が進む時代で、機械音痴の父に代わり、機械を使う場面は私が代わりに作業していました。私が19、20歳くらいの頃から本格的に植木屋として父と二人三脚でやってきました。父は「どんくさいけどくそ真面目」といったような人間でした。しかし、人の倍時間がかかっても投げ出さず、厳しい祖父の下、黙々と努力をする人でした。そんな父の背中を見て、父のようになりたいと思いました。
地域農業に関わるエピソードを教えてください。
幼少期、この地域では「結」という制度が盛んでした。「結」制度とは、昔はすべて手作業だった田植え作業などを、労働力を対等に交換し合って地区の中で支えあう相互扶助の制度です。うちの田植えを手伝ってもらったら、次はあちらの田植えを手伝いに行くといった形で、地域の繋がりがとても強い時代でした。
ちょうど父が現役時代になる頃、高度経済成長期になり「結」制度からの転換期でした。その頃に東日本のほうで植木の整枝技術を習得してきた方が五軒家地区にその技術を広められたことで五軒家地区は「植木の町」として知られる様になったそうです。
「結」制度で年上の方とお話する機会が多かった幼少期だったので、年上の方の話を聞くことが大好きでした。妻の父親も植木一筋の職人だったので、植木のことから人生観まで色々な事を教えてもらいました。中でも、「人生山あり谷あり。越えていかなあかんけど、越えられへん時もある。その時は悩み抜くのはやめて、一回忘れなさい。悩むと視野が狭くなってしまうけど、一旦離れることで何かのきっかけでほぐれてくることがあるからその時にもう一回考えや。」という言葉が一番胸に残っています。この考え方を聞いてから、人生観が変わり、行き詰まったときに何度も救われました。
植木職人をしていて嬉しかったことはなんですか。
私は「庭づくりに正解はない」と思っています。人それぞれに家のかたちがあるので、どんな見た目のお宅なのか、そのお宅にどんな人が来られるのか、どんな方が住まれているのか、人を見て、その植木の意味合いを考えて、その家に合った植木を考えている時間が一番楽しく、やりがいがあります。
とあるお得意様から、「茶室と囲碁部屋を建てるのでその庭を作ってほしい。メインは庭だと考えているので、庭のことはすべて東さんにお任せしたい!」と私を信頼してご依頼頂けたときは本当に嬉しかったです。
昔の造園と今の造園の違いについてお聞かせください。
高度経済成長期時代は、一軒家を建てて庭を持つことが夢でありステータスでした。今は、家を建てても塀もないし庭もないのが主流です。しかし、目にも心にも優しい緑は癒しとしても大事なものかと思います。我が家では5年ほど前から息子が3代目として、一緒に植木職人として働いています。やはり私は庭があった時代の職人なので、息子の時代の主流となるであろう今の時代に合った植木・造園を一緒に考え、話し合っています。
これからの目標をお聞かせください。
父が努力をしている姿を見て、周りの人が「お前のお父さんは本当に頑張っているなぁ」と認めてくれ、その繋がりから私の代になっても人に恵まれていると感じています。だから私も子どもたちに、私が父からもらったような繋がりを繋げたいという思いがあります。そうした人と人との結びつきをこれからも大切に、父のような背中を子や孫に見せられるように歩んでいきたいです。