笑顔の実り。 vol.97(2022年3月号)
そうの としおさん|73歳
河内長野市小山田地区 宗野 敏雄さん
「小山田」の仲間との関係を大切に
農業を始めたきっかけについてお聞かせください。
両親が梨やミカン、米づくりをしている専業農家だったので、農繁期は子供でもできる作業を手伝っていました。子供心に遊びたいのに嫌だなぁと思いながら、仕方なくやっていたことを思い出します。昔は梨栽培が多かった小山田地区も50年前から徐々に桃を栽培する人が増えてきて、私の家もその頃から桃の栽培を始めました。
大学卒業後は就職しましたが、懸命に農業に汗を流す父や母の背中を見ていると「私も手伝わなあかん」と思い、仕事が休みの日は、両親の手助けをする日々を過ごしていました。そんな時、職場の上司から「一緒に東京の支社で頑張らないか」との誘いがありました。迷いに迷いましたが、年老いていく両親のことや色々なことを考え、泣く泣く断り、そのまま退職しました。それが1985年春のことです。その年の8月に東京から帰阪中の飛行機が墜落事故を起こし、元上司らを亡くしました。それがあの「日航機墜落事故」でした。私は事故当日、辞めた会社の元同僚らと麻雀をしていたので、今も生きています。会社に残っておれば…と思うと今でもゾッとします。人生何があるかわからないとつくづく思います。今は大好きな桃づくり一本の専業農家です。
桃の魅力を教えてください。
「小山田の桃」は完熟の手前で収穫するので風味豊かでやわらかくて甘いのが特徴です。それが評判良く全国区に拡がった「小山田の桃」ブランドの魅力です。
現在、私が会長を務めている河内長野市小山田地区桃振興研究会の中に「直売部」というグループがあります。JAの支店でテントを張って桃の直売をしたり、「あすかてくるで」へ出荷したりしています。直売では、「贈った人から喜んでもらえた!ありがとう!」とお客さんから直接お声を頂けるので夏の暑い中での苦労も吹き飛んでしまうほど嬉しいです。また直売部の気の合った仲間たちと協力しながらわいわい出荷することも楽しみのひとつです。これは「あすかてくるでに出荷や」「これは直売用や」と話しながら、みんなで楽しく仕分け作業を行います。桃の栽培自体も好きですが、何よりもお客さんとの関わりや、仲間と情報交換できるのが楽しいです。
地域農業に対する思いをお聞かせください。
「小山田の桃」は、台風による被害、クビアカツヤカミキリによる被害、生産者の高齢化の3つの大きな問題を抱えています。特に最近では前者2つで桃農家は大ダメージを喰らいました。私の圃場でも、平成30年の台風で根こそぎ倒木するなど被害は甚大でした。そこへクビアカツヤカミキリにやられて枯死する木が増えるなど、桃農家にとっては存亡の危機といっても過言ではなく、その被害をキッカケに離農する方も多いのが現状です。
そんな中、去年、農業大学校の先生から「桃を作りたいという学生がいるので研修を請け負ってもらえないか」と依頼があり、栽培から直売所販売まで、1年間の流れを経験してもらいました。とても明るい良い子で、小山田地区で桃を作りたいと言ってくれていましたが、農業をしている親戚がいる岡山県で新規就農することになり、「出来た桃を送ってこいよ~!」と送り出しました。長年桃栽培をしてきて初めてのことだったので、若い人が「桃を育てたい!」と興味を持って研修に来てくれたことは本当に嬉しい事でした。
農業をする上でのこだわりをお聞かせください。
自分のこだわりは桃の木を「低木仕様」にする剪定です。果樹栽培は上を向く作業ばかりですが、私自身高所恐怖症のため、脚立をできるだけ使わずに自分が作業しやすい木を作るよう心掛けています。専業農家になってからは、農業仲間との情報交換や、桃の栽培についての本を読んで常に知識を身につけるようにしています。近所の農業仲間が作業効率化の知恵やアドバイスをくれるので、とてもありがたい存在です。
私のこれからの目標は、欲張らず、無理をせず、身体の続く限り、美味しい小山田の桃をお届けすることです。私の命を救ってくれた一因でもある「桃」づくりに精を出し、雨の日は「晴耕雨読」ならぬ、「晴耕雨雀」で気の合う仲間たちと卓を囲める日が早くきてほしいものです。桃振興研究会の会長として最後に大阪府の「農と緑の総合事務所」、河内長野市役所の農林課、JA大阪南の皆様方には色んな面でご尽力いただいております。この誌面をお借りして感謝申し上げます。