食と農のこと食と農のこと

笑顔の実り。 vol.83(2021年1月号)
いしだ しんいちさん|74歳
富田林市 佐備地区 石田 新一さん

私を導き育ててくれた 父と農協

農業を始めたきっかけについてお聞きかせください。

父はミカンの専業農家で、私自身も中学卒業とともにミカン農家として働き始めました。農業は当然継ぐものだと思っていたので嫌だという意識すらありませんでしたが、中学卒業後すぐだったため反抗期はあったと思います。当時は合併前の東條農協で、私が就農したのと同時期に現在副会長を勤めているみかん部会の前身である柑橘振興会が設立しました。中学卒業後は高校の定時制課程夜間部に通いながら、昼は農作業、夜は高校という生活を送っており、学生生活との両立は忙しくはありましたが苦ではありませんでした。逆に昼のしんどい農作業を早く終わらせて学校に行こう!と思うほど、同世代の人と会える場所として学校生活を楽しんでいました。

農業をしていて大変だったことはなんですか?

私が農業を受け継いだ約50年前は、ちょうど『ミカンの黄金時代』と呼ばれた時代でした。当時は『こたつにミカン』が当たり前で、ミカンの需要も値段も高い時代でした。しかし、日本各地で生産量が増え、生産過剰と需要の減少でミカンの価格はみるみる落ちていきました。東條からも業者が撤退し、売り先は一気に無くなりました。 これをきっかけに45年ほど前に父が発案し自営の直売所を始めました。当時、このあたりで直売所をやっている農家はほとんどおらず、周りからは「そんなん一日で1個でも売れるんか?」と笑われることもありました。しかし、府道に面している立地も良かったのか、前を通った金剛山の登山客がよく買ってくれるようになりました。はじめ5年ほどはミカンのみの季節販売で営業していましたが、徐々に野菜の種類を増やしていき通年販売するようになりました。 父は色々なことにチャレンジする人で、直売所以外にも観光農園をしたこともありました。父がやりたいことには自分が協力して、自分がやりたいことには父が協力してくれた、そんな親子関係はとても良いものだったと思います。

農業に対する思いをお聞かせください。

収穫は楽しい反面、すごくしんどいです。農繁期は多いときで親戚7人くらいにミカン収穫のアルバイトへ来てもらい、私はそのミカンを山から倉庫に運び、夜になったらアルバイトを送り帰してからミカンを倉庫から貯蔵庫へ運ぶ作業を行うため、終わるのは夜中になります。ミカンは一気に収穫しないといけないので大変ですし、人に手伝ってもらうという気苦労もあります。30年ほど前の夏の干ばつ時期には、灌水作業で徹夜続きになり、朝気づけばみかんの木を抱きしめて寝ていたこともありました。そんな苦労に耐えられるのは、いいミカンが採れた時の喜びがあるからです。私の想いが通じたミカンを見ると本当に嬉しいです。私はこれまでみかん部会の副会長を35年ほど勤めていますので、私の心臓が止まる迄、ミカンに関わり続けていくのが目標です。 私は終戦直後山奥の里山に生まれ、野猿のように山谷を駆け回り、ミカン農家の一男として農業一筋の生涯でした。農業といえば自然相手のものですが、私はその自然が好きだったからやってこられたと思います。田舎に生まれたら都会に憧れる人が多いですが、私は里山に生まれ、そこが大好きでした。中学卒業後無知な私を導き育ててくれたのは、私の父親と農協です。東條農協から富田林市農協、そして大阪南農協と共に成長してきました。合併して大きくなった今も私の隣にいてサポートしてくれています。
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