食と農のこと食と農のこと

笑顔の実り。 vol.77(2020年5月号)
あさの よしまさ さん|70歳
羽曳野市駒ヶ谷 麻野 吉正さん

理想のブドウを追い求めて

父を助けるために

 麻野さんは母親は早くに亡くなり、一人で苦労する父親の姿を見てきたので、将来は農地を継いで父親を助けたいと思っていた。高校に入ると、学校に通いながら仕事を手伝い、卒業後、すぐに就農した。当時、主に作っていたのはブドウとイチゴだ。父親やブドウ作りが上手な先輩農家に教えてもらい、少しづつ栽培方法を覚えていった。当初は、父親から外の世界を見て来いと言われ、農閑期に出稼ぎへ行くこともあったそうだ。  左官屋や瓦屋で、職人の仕事を補助する「手元」をしたり、年末に餅屋で働いたりと、農作業の隙間をぬって、あちこち駆け回った。ハードな仕事が多かったが、様々な人と出会い、社会で経験を積むことで、人間的に成長できた。「出稼ぎは5~6年続けたが、良い勉強をさせて貰った」と、当時を振り返る。

適期を見極める

 就農して2~3年経ったころ、麻野さんは助成金を利用して、ビニールハウスを建てた。ブドウの栽培を路地からハウスに切り替え、本腰を入れてブドウ作りに取り組んだ。しかし、最初は上手くいかないことが多く、落ち込むこともあったそうだ。  「売り物にならないブドウを作り、情けない気持ちになることもありました。特にジベレリン処理は適期の見極めが難しく、何度も失敗して泣かされた思い出があります」  種無しブドウを作るためには、専用の液にブドウをつける「ジベレリン処理」が必要だ。少しでも時期がずれると、粒がまばらで形の悪いブドウになってしまう。ブドウは生育状況が木によって違うので、それぞれの適期を見逃さず、効率よく処理を行う必要がある。天候、品種によって状況は常に変わるので、自分の経験とカンで、その日にすべき作業を決める。  「ブドウの栽培は本当に難しい。毎年条件が変わり、初めてのことばかりだし、良いものが出来た!と思っても、最後に失敗することもあります。最後まで気が抜けません」

合うブドウ、合わないブドウ

 最初はデラウエアをメインに作っていたが、少しづつ大粒ブドウの栽培を増やし、今では様々な品種を育てている。大粒ブドウは品種によって、作り方が全く異なる。仲間から良いと聞いたブドウを育ててみても、自分には合わないこともあるそうだ。  「人と人に相性があるように、ブドウと人にも相性があるんです。私は瀬戸ジャイアンツという品種を育てるのが苦手で、ピオーネは得意です。逆に、妻は瀬戸ジャイアンツを育てるのが好き。人によって、合うブドウと合わないブドウがあるんですよ」  細かい粒がびっしりつく瀬戸ジャイアンツは、粒を間引くのが大変だ。麻野さんはその作業が苦手で「辛気臭い気持ちになるんです」と話す。妻の雅子さんは、黙々と粒を間引く作業が苦にならないそうだ。

直売所で得られるもの

 最初は、自分の直売所でブドウを売るつもりは無かった。しかし、作業場が道路沿いで人目につくこともあり、自然とブドウを求め、お客さんが入って来るようになったそうだ。客層はリピーターが多く、毎年必ず来てくれる人も多い。「ブドウが苦手だったけど、ここのブドウを食べてから好きになった」と何回も買いに来てくれる人もいるそうだ。直接「おいしかった」と感想を聞けるのは、何よりも嬉しい瞬間だ。同時に「今年もブドウの味は落とせない」とプレッシャーも感じる。直売所があるおかげで、良い緊張感を持ちながらブドウ作りに取り組んでいる。  自分の直売所の他に、当JAの直売所「あすかてくるで」にも出荷している。朝一番にブドウを持っていき、途中で追加の搬入を行う。ブドウを持っていくのは、主に妻の雅子さんの仕事だ。雅子さんは「あすかてくるで」に行くと、必ず売り場をチェックする。商品の売れ行きを見て、足りない品種があればその場で麻野さんに連絡し、商品を用意するように伝える。  「売れ行きが悪い日は、お客さんがどんな商品を買っているのかチェックします。そうすると、どんな品種を用意すれば良いかが見えてくる。直売所で観察すると、色々なことが分かります」

受賞が励みに

 昨年、麻野さんはブドウの品評会で近畿農政局長賞を受賞した。賞をもらった事で、ブドウ作りを頑張る励みになったそうだ。  「駒ヶ谷地区は頼もしい若手農業者が多く、ブドウ栽培がさかんな地区です。若手農家と一緒に飲みに行くと、若いパワーを感じて、すごく元気が貰える。体が動くうちは、まだまだ私も頑張りたいです」  理想のブドウを追い求め、これからも毎日圃場に向かう。
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