食と農のこと食と農のこと

笑顔の実り。 vol.74(2020年2月号)
ひらおか こうじさん|77歳
羽曳野市高鷲 平岡 康嗣さん

待ってくれる人のために

若い頃はがむしゃら

 2歳の頃、父親が大病を患った。それ以来、父親は体調を崩しがちで、農業で苦労している姿を見てきた。早く農地を継いで、両親を助けてあげたい。平岡さんは小学生のころから、畑に出て親の仕事を手伝うようになった。  「学校の勉強が嫌いだったこともあり、学校から帰ると床にカバンを放り投げて、畑に行きました。昔は今と違って子どもが親の仕事を手伝うのが当たり前の時代です。近所の子もみんな畑に出ていました。面白半分で手押しの除草機を使っていたことを思い出します」 中学生になると、鍬を持って土を耕したり、鎌を使って草を刈るようになった。近所のおばさんから「もう一人前みたいで、すごいねえ」と褒められたそうだ。農業に必要な体力をつけるために、井戸の水を桶に入れて運び、身体を鍛えることもあった。「周りには何をやっているんだと笑われましたけどね」と当時を振り返る。 大きな自転車に乗って、鶴橋や天王寺まで出荷しに行くこともあった。当時は道が舗装されていなかったので、かなりの悪路だ。相当大変だっただろう。 中学校を卒業すると、平岡さんは本格的に農業を始めた。最初は分からないことだらけで、両親や親戚、地域の人に教えてもらい、少しずつ作業を覚えていった。 「色々な人に助けてもらいました。両親がこの地で農業を続けてきたから、みんなが手を貸してくれたんだと思います」 父親の代では、碓井エンドウやジャガイモ、タマネギなどを育てていたが、それだけでは夏の収入が少ない。新たにキュウリやトマト、ナスの栽培を始め、毎日がむしゃらに働いた。 「若い頃は、本当によく働いたと思います。若くて体力があったから、平気だったんでしょうね。今は長年の農作業で肩こりと腰痛がひどくて大変ですが、毎日畑に出ています」 現在はコマツナ、ホウレンソウなどの軟弱野菜をメインに育て、市場を中心に出荷している。毎年「出せるだけ全て出荷してください」と関係者に頼まれるほど好評だ。

父親の教えを守って

 最近は新しい栽培方法がどんどん出てきているが、平岡さんは今でも、父親が作っていた通りに農産物を育てている。特にエンドウマメやソラマメは、一般的には畝を作って育てることが多いが、畝を作らず育てている。無理に今の方法に合わせるよりも、父親の教え通りにするほうが、上手くいくことが多いそうだ。  試行錯誤して育て、収穫の時に良いものが出来ると、これまでの苦労が報われる。平岡さんにとって、一番うれしい瞬間だ。ただし、農業は天候に左右されやすいので、上手く出来たと思っていても、長雨でダメになる時もある。色々な条件が重ならないと良いものは出来ないので、農業は難しい。

病気なんかに負けてたまるか

 平岡さんは今までに3回、大きな病気を治療した。そんな中でも、これまで途切れること無く農業を続けている。入院が必要な時も、田畑に水を入れ、作業を全て終わらせてから病院へ行った。入院中もベッドでじっとしていることが出来ず「身体は元気だから」と前倒しで退院し、すぐに畑へ向かった。  「知り合いの農家も、同じように退院してすぐ畑に行ったと言っていました。病気なんかに負けてたまるか!という気持ちです」  しんどい時でも農業を続けてこれたのは、家族の存在も大きい。特に、妻の文子さんは平岡さんを長年支えてきた。今年、文子さんが農作業を手伝おうかと声をかけると、平岡さんが「えらいすまなんだなあ」と声をかけてくれたそうだ。  「今までそんな事言われたこと無かったから、びっくりしました。身体のこともあるし、娘からはお父さんに無理をさせないでと言われることもありますが、お父さんは畑仕事してないとおかしくなるよ!って言い聞かせてます。まだまだ現役で頑張ってくれると思います」  今年も出荷している市場から「もっと出して欲しい」「いつ出荷出来ますか?」と問合せの電話が来ているそうだ。求められることが、平岡さんのやる気に繋がっている。  「待ってくれている人がいる限りは作り続けたい」  まだまだ、引退の時は遠そうだ。
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