
羽曳野市 野々上 松村 浩芳さん
道を作った
10年間
幼い頃から農作業
今では住宅地だが、羽曳野市の野々上地区は昔、農地が広がっていた。藤井寺球場から観客の歓声が聞こえるほど、大きな建物が無く、田畑に囲まれた土地だった。そんな環境のなか、松村さんの実家は、代々農業を営んできた。父親は専業農家で、米、ブドウ、モモ、イチジク、サトウキビ、スイカなど、様々な作物を育てていたそうだ。農繁期になると、親戚が総出で農作業にあたる。松村さんも子供のころから、当たり前のように家の仕事を手伝った。
「つらかったのは、畦道の草刈り。今と違って機械が無いので、手作業で草を引きました。暑くて大変だったことを思い出します」
会社に就職すると、松村さんは働きながら家の仕事を手伝った。1989年に、父親が病気で田畑に出れなくなってからは、農地を継いで米を作った。まだ40代で体力はあったが、仕事が忙しく大変だった。夏は仕事から帰ると田んぼに水を入れに行き、朝水を止めてから仕事に行くこともあった。
道を作った10年間
当時、一帯の農地には、ある問題があった。土地が整備されておらず、大きな道路が無かったことだ。狭い道が一本あるだけで、機械が入れない場所が多い。作業に不便なため、不耕作地になる土地もあった。このままでは、将来農業が出来なくなるかもしれない。不安を感じた松村さんは、友人と農地の区画整備に取り組むことに決めた。
「地域の人たちに、土地を整備して道を作れば、不耕作地が無くなり、将来的に農業を続けていけるはずだと話しました。みんな納得してくれたので、すぐに組合を作ったのですが、ここからが大変でした」
道を作る面積と工事費用を確保するためには、土地を売る必要がある。誰のどの土地を売るのか。そして、売った土地の代替地をどこにするのか。それぞれの思いがあり、話し合いは難航した。
「当然ですが、みんな自分の土地は良いところに確保したい。得する人と損する人がいれば不満が出るので、土地の整備では公平性を示すことを大切にしました」
土地の所有者は計30人ほど。事務作業は専門業者に任せたが、話し合いは松村さんと友人の2人が主導した。地道な話し合いを続けた結果、土地の4割を売却して整備し、無事に道を作ることが出来た。かかった期間は、なんと約10年だ。
「思い出すと大変なことばかりでしたが、道が出来たおかげで、今も農業を続けることが出来る。節約したおかげで、余ったお金をみんなに渡すことも出来たし、やって良かったと思います」
小さな発見の積み重ね

美味しい米を育てるために、松村さんがこだわっているのは土。今は化学肥料が中心なので、土が痩せてしまいがちだ。栄養たっぷりの土にするために、空気たっぷり入れて、ワラを混ぜ込んでいる。ワラは細かく砕き、しっかり腐らせないとガスが発生する。タイミングを決めて3回すきこみ、ワラの形が残らないようにしている。
米作りは毎年同じ作業だが、分からないことは沢山ある。稲穂に少しでも変化があれば、当JAの営農指導課や営農経済センターに行き、話を聞いている。
「いつも、自分で原因を予想するのですが、外れることがほとんど。職員に話を聞くと、なるほど!という答えをもらえるので安心です。今年、田んぼの土を平らにならす時、機械のロータリーを回し忘れました。失敗した!と思って相談したのですが、ロータリーで土を練らないので、空気の入ったふんわりした土になると教えてもらい、驚きました」
失敗だと思ったことが、意外な効果を発揮することもある。日々の小さな発見が、松村さんの喜びだ。
農地を次代へ

田植えや稲刈りの農繁期は、近所に住むお孫さんが手伝ってくれるそうだ。後を継ぐのは難しいかもしれないが、ビニールハウスを建てるなど、少しでも管理がしやすい環境を整えておきたいと話す。
「どんどん都市化が進んで、今は大変な時代です。でも、知恵を出し合えば、農業は大きく発展する可能性を秘めているはず。せっかく守った農地が無くなってしまうのは悲しいことです」


