
河内長野市 小山田町 池西 一郎さん
美味しい桃の
作り方
人にも環境にも優しい農業
本格的に農業を始めたのは、今から20年ほど前だ。父親が病気になり、桃の世話が出来なくなった事がきっかけだった。当時、池西さんは市役所に勤めていた。
「仕事と農業を両立させるのは大変でした。特に、収穫の時期はやることが沢山あります」
朝4時に起きて、前日に箱詰めした桃を確認したら、8時40分に出荷するまで畑に行く。そこから職場へ行き、仕事が終わって家に帰るのは18時ごろだ。すぐに畑へ行き、20時まで桃を収穫したら、24時まで桃を箱に詰める。朝から晩まで働き詰めだ。
「最初の3日は平気だけど、それ以降は体がしんどい。一緒に作業してくれている妻にも、かなり負担をかけたと思います」
世代交代した後は、池西さんに遠慮したのか、父親は桃作りについて何も言わなかった。そのため、作り方は自分で覚えた。たまに教えてもらうこともあったが、昔と今では肥料の種類が変わっていたり、栽培方法が違うことも多い。見よう見まねで、一から桃作りを覚えた。
「ありがたいのは、父親が自分の顧客を私に引き継いでくれたこと。ちゃんと売り先を残してくれたから、今も栽培を続けられます」
9年前、池西さんは市役所を退職した。今は専業で、桃作りに取り組んでいる。
桃直売のはじまり

昔、河内長野市の小山田地区は梨の産地だった。桃の産地に変わった理由は、梨の収穫時期が台風のシーズンと重なるから。桃は梨より台風の被害が少ないので、桃農家に転向する人が一気に増えた。池西さんの父親もその中の一人だ。最初は市場に出荷していたが、桃農家が増え、出荷量が大きくなると、安く買い叩かれるようになった。大切に育てた桃を、正当な値段で売るために出来ることはないか?仲間で話し合ううち、周りに住宅地が多い利点を活かし、直売をしてはどうかと意見が出た。
さっそく出荷組合を作り、当JAの河内長野支店に会場を設置して、1987年に桃の直売を開始した。これが、今日まで続く小山田地区の桃直売の始まりだ。最初の出荷者は5~6人で、完熟一歩手前の採れたての桃を販売した。大規模産地では、工場のラインに乗せるため、固いうちに桃を収穫する。柔らかい桃を販売出来るのは、消費地が近い直売所ならではの利点だ。小山田の桃は評判を呼び、飛ぶように売れた。しかし、良い時期は長くは続かない。
厳しい現実

直売所が人気になると、出荷組合に入りたいと言う人が一気に増えた。出荷量が増えると、しだいに桃が捌けなくなり、余るようになった。それに伴い、桃農家は少しずつ栽培から手を引くようになった。
現在、桃振興会の会員は39人だ。会員の高齢化が進み、平均年齢は75歳になる。会員が減り、桃が余ることは無くなったが、後を継ぐ農家はほとんどいない。会社員と比べ、農家は収入が不安定だ。池西さんも「息子に後を継いで欲しいとは言えない。苦労するのが分かっているから」と話す。厳しい現実だ。
美味しい桃の作り方

美味しい桃を作るために、大切なことは3つある。一つ目は、太陽の光をよく当てること。池西さんは夏と冬の年2回剪定し、木が上に伸びすぎないよう調整したり、日当たりがよくなるよう枝を切っている。
二つ目は、肥料をあげて土質を良くすること。桃の栽培に適しているのは、水はけの良い土だ。畑によって土質はそれぞれ違うので、どの肥料をあげれば良いのか見極めないといけない。失敗すれば、木ばかり大きくなって実に栄養がゆき渡らない。
三つ目は、自分の作れる範囲で桃を作ることだ。収穫の時期が暑いので、沢山作ると大変だ。作りすぎて、売り先は無いのも困る。糖度が十分にのり、形が美しい桃を作るために、自分が作れる量はどれくらいなのか見極め、きちんと売り先を確保しておく。基本の流れを抑えておかないと、後で大変なことになる。


